ひらがな…「最初から、正しくきれいに」は正しいか ⁉
- 事務局 リヴォルヴ学校教育研究所
- 4月8日
- 読了時間: 4分
更新日:4月9日
少年野球の選手がプロ選手のまねをしていたら、多くの人は「まずは基本から」と言うかと思います。なのになぜ「ひらがな」は、最初から「正しくきれいに」となるのでしょう?
「い」は縦棒2本から:スモールステップを踏む
たいていの子が最初に書く「い」は縦棒2本、それも左右の長さが同じになっていたり、右側のほうが長かったりします。だとしても、
「書けたよ!」という子に
「そうじゃないでしょ!」と言って赤を入れるようなことをしたら、せっかく芽生えた意欲をそいでしまうことにもなりかねません。

子どもたちの中には、「い」と「こ」を混同する子もいます。これを防ぐ上でも「い」は縦棒2本、「こ」は横棒2本から始まって、少し斜めに…、丸みもつけて…と、少しずつその子の成長に合わせてスモールステップを踏むことには重要な意味があるとも言えます。
そもそも小学校入学前後の子どもたちにとって、微妙な傾きや丸みをとらえるのは容易なことではありません。それを鉛筆で書いて再現するとなれば、難しさはなおさらです。大人でも達筆な方とそうでない方がいるように、上手に書きたい子には最初から「正しく美しく」としてもよいと思いますが、そうでない子にはその子にとっての一歩先、「プラス1」を目標にしたいものです。
試行錯誤を尊重する
ひらがなの読み書きができるようになるということは、その年頃の子どもたちにとって、単に文字を習得するということ以上の意味をもつようです。そこで気をつけたいのは、他の子よりも遅かったり、上手に書けなかったりすることで、「自分はだめだ。できない」と思い込んでしまわないようにすることです。

これはある子が書いた「み」です。もともと書くことには苦労をしていましたが、あらかた書けるようになってからも、左利きの彼は文字の左右を反対に、鏡文字にしたりしていました。この日は正しく書き始めたものの、いつものくせで反対側に曲がり、矢印の部分で「あれッ!?」と言って戻った結果がこの文字です。
日頃は穏やかな子でしたが、この日ばかりは
「何だこれ? 余計に変になった! だからイヤだったんだ! 練習なんかしたくなかったんだ!」と言って、鉛筆を床にたたきつけました。
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「でもさ、何だかすごくない⁉」と言うと、彼は
「何が? ぜんぜんダメじゃん」と、目を潤ませていました。
「それじゃ、ひとつ聞かせてほしいんだけど、ここで『あれ?』と言ったのはなぜ?」
「そこで、間違えたと思ったから」
「そうなんだ。今まで君は、『なんか変だな、どこが違うんだ?』とか言っていたけど、今日はここで違ったと気がついたんだね? だったら、もう一度書いてみたら」といって彼が書いたのがこちらの文字です。

「今日は、君の成長の瞬間を見せてもらったのかもしれないね。このことを、これから講演会などで話させてもらってもいいかな?」というと、彼は少し照れた様子で
「まあ、いいけど」と言ってくれました。
最初の一歩だからこそ
彼が最初に書いた「み」はたしかに「余計に変」になっていました。
「だから、練習なんかしたくなかったんだ!」」というのももっともです。しかし、ここで大人が
「何やってるの! そうじゃないでしょ!」としていたらどうだったでしょうか?
子どもたちに、「自分と同じ失敗を経験させたくない」という人もいます。それも当然です。しかし私たち自身もたくさんの失敗を重ね、その中から多くを学んできたはずです。手取り足取りで失敗を経験させないということは、その子の大切な学びの機会を奪うことだとも言えそうです。
私たちの教室からは、書くことを苦手としながら、難関と言われる大学に進んだ子が何人もいます。その内の数人が後輩に伝えたいと言っていたのは、「大人のほうが楽だから」ということでした。
「大人だって得意不得意があって、失敗だってたくさんする。職場ではそれぞれ助け合ったりして仕事をしているのに、どうして子どもには完璧を求めるの?」と、言った卒業生もいました。
大人でも、字がきれいな人はそれだけで「知的」という印象を与えますが、夏目漱石などの悪筆は有名です。童話作家のアンデルセンや物理学者のアインシュタインなどは、ディスレクシア(読字障害)であったとも考えられています。

早くから力を発揮する子もいれば、ゆっくり伸びる子もいます。しかし同じ時期に生まれた子を「学年」という枠に押し込む学校教育制度の中で、子どもたち自身が、誰に言われなくても周囲と自分を比べてしまいます。もちろん机上の学習を得意とする子もいれば、そうでない子もいるでしょう。しかし、ゆっくりと育つ子が、この先も伸びないとは限りません。最初の一歩だからこそ、「正しく、きれい」であることに必要以上にこだわりすぎることなく、その子がその子のペースで、その子らしく学べるようにしたいものです。
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